Ads by Google
新しい記事を書く事で広告が消せます。
歴史ってのはさ
うん、今日二つ目になるな(´¬`)
まぁ、いいよね!(ぁ
勉強中の息抜き(にゃなってないけど)とでも思ってくださいな〜
で、今回はなんだってぇとですね
タイトルの通り「歴史」ってことについて考えたわけですよ
相も変わらず拙い文章ですが、よければ読んでくださいな
※はじめに
この文章では歴史学者の方々の存在意義を否定するような文章が含まれています
それを不愉快に思ったりする方は、どうかお引き返しください
先に進んでいただける方はそこの部分をご理解の上、お進みください
さて、「歴史」ってことについてだけどね
最近やたら「新説!」とかそういうのつけた歴史番組とか本とか出てるじゃないですか
それで、ちょっとばかし考えてみたんですがね?
「歴史」というのは、辞書とかで調べると
「人間社会の変遷の様子(記録)」
といった感じのことが書いてあるわけです
簡単にいえば、「人間がどの様に生きてきたか」ということになるわけです
そして、この歴史を知るのには先人たちが書き残した歴史書などという
過去の誰かしらによって作られた人工物が根拠になっているわけですね
では、なぜ俺は歴史のことについて気になったかと言いますと
歴史を知るために使われるのが全て
「人間の手によって作られた人工物」
だという点が非常に気になったからです
人間というのは自分に都合の悪いことだったり、多少の誇大妄想の嘘をついたりする生き物です
そんな人間によって作られたものを全面的に信用できるというのでしょうか?
俺個人としては全くといっていいほど信用なりません
そんなものは、力ある人たちに限らず一般の人たちでもいくらでも偽ることができてしまうからです
たとえば、「500年前に書かれた書籍の本当の著者は誰か?」
そんなものは500年前、ちょうどその時に生きていた当事者たちしか知りえないことなのです
もしくは遠い未来にタイムマシンが作られて、過去に行けない限り無理です
俺が何を考えたかというと
先人たちの技術は確かに学べるものがあります
しかし、「歴史的教訓」というものについては
本当に現在に近い(精々4〜50年)過去のことでしか学べません
100年前、ましてや2000年前のことを知ろうなんていうのは無駄なことでしかないと思うのです
ただ、この文章だけ読むと全世界の歴史学者の方の存在意義を完全否定してしまってますね
なので付け加えると、無駄なことではあるけれど
その過程で見つけられた技術などは価値のあるものだ、と
少し別な方向の話になってしまいますが
誰が言ったのかは知りませんが「人生とは小説よりも奇なり」という言葉がありますね
この表現は言えて妙なり、だと思います
人生というのは何が起こるか分からない、一個人の歴史ですからね
では、ここでこれを人類全体での人生、つまり「歴史」に置き換えて考えてみましょう
その場合
「歴史というのは人間という大群の無意識化で作られる小説である」
と、俺は考えます
こういう言い方をすると、前述の「一個人の人生」も無意識化に作られる小説ということになります
述べていることが食い違ってきて、支離滅裂な感じになってきているかもしれませんが
「一個人」も「人類全体」も、生きていくことによって紡がれる人生…「歴史」というのは
人間という霊長が無意識化に作る小説であり
そこには個人・国などといったものの意思はほとんど無関係なのです
つまるところ、人間という生き物は自分の意思で生きているようで
そこにあるのは自分の意志ではない、人間全体が作った台本があるだけです
さて、結論を言いますと
過去にあった事象が多少変わろうと、大まかな筋書きが変わるわけではないので
今現在への影響はほとんどないと考えます
もし影響がでたとしても、それは遅かれ早かれ起こりえる事象であったということになるでしょう
今さら史実が変わろうと、新しい史実が出てこようと
現在生きている我々には、それこそ小説を読んでいるようなものでしかないのですから
ご意見・ご感想などがあれば、遠慮せずコメントなどに書き込んでください
学生のつまらない戯言にお付き合いくださり、ありがとうございました
まぁ、いいよね!(ぁ
勉強中の息抜き(にゃなってないけど)とでも思ってくださいな〜
で、今回はなんだってぇとですね
タイトルの通り「歴史」ってことについて考えたわけですよ
相も変わらず拙い文章ですが、よければ読んでくださいな
※はじめに
この文章では歴史学者の方々の存在意義を否定するような文章が含まれています
それを不愉快に思ったりする方は、どうかお引き返しください
先に進んでいただける方はそこの部分をご理解の上、お進みください
さて、「歴史」ってことについてだけどね
最近やたら「新説!」とかそういうのつけた歴史番組とか本とか出てるじゃないですか
それで、ちょっとばかし考えてみたんですがね?
「歴史」というのは、辞書とかで調べると
「人間社会の変遷の様子(記録)」
といった感じのことが書いてあるわけです
簡単にいえば、「人間がどの様に生きてきたか」ということになるわけです
そして、この歴史を知るのには先人たちが書き残した歴史書などという
過去の誰かしらによって作られた人工物が根拠になっているわけですね
では、なぜ俺は歴史のことについて気になったかと言いますと
歴史を知るために使われるのが全て
「人間の手によって作られた人工物」
だという点が非常に気になったからです
人間というのは自分に都合の悪いことだったり、多少の誇大妄想の嘘をついたりする生き物です
そんな人間によって作られたものを全面的に信用できるというのでしょうか?
俺個人としては全くといっていいほど信用なりません
そんなものは、力ある人たちに限らず一般の人たちでもいくらでも偽ることができてしまうからです
たとえば、「500年前に書かれた書籍の本当の著者は誰か?」
そんなものは500年前、ちょうどその時に生きていた当事者たちしか知りえないことなのです
もしくは遠い未来にタイムマシンが作られて、過去に行けない限り無理です
俺が何を考えたかというと
先人たちの技術は確かに学べるものがあります
しかし、「歴史的教訓」というものについては
本当に現在に近い(精々4〜50年)過去のことでしか学べません
100年前、ましてや2000年前のことを知ろうなんていうのは無駄なことでしかないと思うのです
ただ、この文章だけ読むと全世界の歴史学者の方の存在意義を完全否定してしまってますね
なので付け加えると、無駄なことではあるけれど
その過程で見つけられた技術などは価値のあるものだ、と
少し別な方向の話になってしまいますが
誰が言ったのかは知りませんが「人生とは小説よりも奇なり」という言葉がありますね
この表現は言えて妙なり、だと思います
人生というのは何が起こるか分からない、一個人の歴史ですからね
では、ここでこれを人類全体での人生、つまり「歴史」に置き換えて考えてみましょう
その場合
「歴史というのは人間という大群の無意識化で作られる小説である」
と、俺は考えます
こういう言い方をすると、前述の「一個人の人生」も無意識化に作られる小説ということになります
述べていることが食い違ってきて、支離滅裂な感じになってきているかもしれませんが
「一個人」も「人類全体」も、生きていくことによって紡がれる人生…「歴史」というのは
人間という霊長が無意識化に作る小説であり
そこには個人・国などといったものの意思はほとんど無関係なのです
つまるところ、人間という生き物は自分の意思で生きているようで
そこにあるのは自分の意志ではない、人間全体が作った台本があるだけです
さて、結論を言いますと
過去にあった事象が多少変わろうと、大まかな筋書きが変わるわけではないので
今現在への影響はほとんどないと考えます
もし影響がでたとしても、それは遅かれ早かれ起こりえる事象であったということになるでしょう
今さら史実が変わろうと、新しい史実が出てこようと
現在生きている我々には、それこそ小説を読んでいるようなものでしかないのですから
ご意見・ご感想などがあれば、遠慮せずコメントなどに書き込んでください
学生のつまらない戯言にお付き合いくださり、ありがとうございました
<<パワプロ15(栄冠ナイン及び白球ドリーム) | HOME | 何とも言い難い>>
COMMENT
COMMENT FORM
TRACK BACK
| HOME |

